-私はこうして女将になりました-東横INN支配人通信~等身大の女性たち~ 第4号
ホテル経験は無くてもいい。「主婦」「母」というキャリアや役割がホテル運営に役立つはずだから――
そんな考えから東横INNは40代50代の女性、それも妻や母の顔を持つ等身大の女性たちを支配人に採用しています。
2019年度の最優秀支配人は、東京オリンピックのマラソン開催決定に沸く北海道・札幌から、吉田ゆかり支配人が選ばれました。
スタッフの心が掴めない日々、やがてもらった嬉しい一言
実家は飲食店を営んでおり、親が病気で倒れた後は私が継ぎました。その後に移住した広島でも15年間に3つの飲食店を経営するかたわら、建設会社の役員も務めました。理由があって札幌に戻り、雇用する側から雇用される側として働くようになっても、いつかまた自分で商売をしてみたいと思っていました。私の中にはきっと「経営の虫」がいるのでしょうね。
そんなとき、「ホテルの経営をしてみませんか」という東横INNの支配人募集の広告が目に留まり、「ホテルの経営とはどんな仕事なのだろう?」と半ば興味本位で応募しました。運よく採用の知らせをいただいた時、「ホテルの仕事が素人の私に数億円ものホテルの建物一棟と80人の従業員の運営・管理を任せてくれるなんてすごい会社だな」と心底驚き、信頼と期待に応えたいと思いました。
支配人になって最も苦労したのは、スタッフの人心掌握です。実は私が着任したホテルではそれまで支配人がなかなか定着しませんでした。そのためのスタッフの心はバラバラで、上司や会社への不信感も募っていました。そこに現れた新参者の私を、スタッフがすんなり受け入れてくれるわけがありません。お客さまからクレームをいただいたりトラブルが起きたりした時など、スタッフたちは「さあ、この新しい支配人はどう対処するかな」とばかりに値踏みするような目で遠巻きにしていました。
そんな溝を埋めるために、私は仕事に留まらず、時にプライベートなことでもスタッフとコミュニケーションを取るようにしました。私から心を開き、良い部分も悪い部分も含めて、私という人間を理解してもらえるよう努めたのです。ただやはり無理をしていたのでしょうね。着任から3ヵ月を過ぎた頃、ずっと張り詰めていた精神状態と過労とでとうとう入院してしまいました。するとスタッフからお見舞いの花束と色紙が届き、そこにこう書いてありました。「すすきの交差点のお母さんなのだから、早く元気になって戻ってきてください」。
今、思い出しても涙がこぼれてきそうです。「スタッフからようやく認められた。新しいチームづくりのスタートラインに立てた」──そう感じた瞬間でした。
一人勝ちでなく、みんなで勝ちたい
私たちのホテルは今でこそ札幌市内にある5つの東横INNの牽引役ともいえるホテルになりましたが、私が着任した当時、稼働率は75%程度と低迷していました。いくら立地が良くても、接客のレベルが低いホテルにはお客様はいらっしゃってくれません。あの頃はよくお客様から「接客が悪い」とお叱りを受けました。原因の一つは人員の不足でした。仕事量に押しつぶされて、スタッフは笑顔どころか疲労感を漂わせていたのです。私はまず人員の確保に奔走しました。「接客力の指導をする前に、楽しんで働ける職場環境を整えなくてはならない」と思ったのです。
職場環境を改善した後、次にスタッフに目標を与えました。札幌すすきの交差点では長らくリーダーが不在だったので、何を目標に働けば良いのか旗印が掲げられていなかったのです。一人一人に目標を与え、そこに至るまでの道筋を私とスタッフとで一緒に考えることで、やがて私が右を向けばスタッフも右へ、私が足を止めればスタッフもその場で立ち止まる、そんなチームが出来上がりました。私の一挙一動を注視し、それを必死に追いかけてくるスタッフがいて、成果が数字となって現れる――支配人だからこそ実感できる醍醐味です。
私たちのホテルの強みは、客層が団体、個人、インバウンドの観光客、ビジネスパーソンや工事関係者など多岐にわたることだと思います。地元のお客様が二割程度を占めるのも特徴ですね。すすきの交差点の真ん中にありますから、飲んで帰れなくなったお客様が朝方の6時にチェックインすることもあります。あいにく満室だった場合には、お問い合わせをいただいたお客さまを空室がある他の東横INNの店舗をご案内します。そうやって自分のホテルだけでなく、札幌の5ホテル全体で稼働を伸ばすことを常に考えています。
そんな私たちにとっては、先ごろ東京オリンピックのマラソン・競歩の開催地に札幌が決定したことは嬉しいニュースですね。ここ札幌には夏にはたくさんの観光客がいらっしゃいます。来年はマラソンや競歩を観戦する人たちが加わるのですから大変な賑わいになると思います。初めて札幌を訪れる方、初めて日本を訪れる海外の方にも、できる限りのおもてなしをしたいですね。
度胸と繊細さと
飲食店を営む家に生まれ、商売がいかに大変かを目の当たりにして育ちましたから、経営者が苦労するのは当たり前だと思っています。私たちのホテルには沢山のスタッフがいて、中には母子家庭のパートさんもいます。彼女も含め、スタッフとその家族の生活は私たちのホテルの稼ぎにかかっています。私にはこのホテルを健全に経営しなければならない責任があるのです。
その責任を果たすためには、支配人として時には思い切った決断が必要です。同時に従業員の気持ちを思いやる繊細な心も欠かせません。ですから何かに困っていたり、助けを求めていたりするサインを出すスタッフがいたら、私は何をおいても話を聞きます。書類仕事は後回しにしても待ってもらえます。でも人の心は時間とともに変化します。とりわけネガティブな感情は、関係を修復したりやる気を取り戻したりするのを手遅れにさせてしまう危険性さえはらんでいます。私は不安そうなスタッフによくこう声をかけるんです。「大丈夫よ。私が支配人としてこのホテルを守るから大丈夫、安心して働いてね」と。
「話すときはカバになり、聴くときは象になる」
この仕事に応募するとき、「人生最後の仕事だろうから、やりたいことをやったら」と主人は言ってくれました。あまり家事に手が回らない日が続いても、私が楽しそうに働いている限り文句を言わない、できた主人です(笑)。そんな主人から「話すときはカバになれ。聴くときは象になれ」という言葉を教わりました。「自分が話す時には、これが正しいという自信を持って、それこそカバのように大きな口を開けて情熱的に話さないと相手には伝わらない。一方、聞き手になった時には相手の言うことを否定せず、象のように大きな耳で献身的に聴きなさい」という意味です。スタッフにもお客様にも「話すときはカバ、聴くときは象」を心がけ、いつの日か最優秀店舗賞をもらえるような、最強のチームを育てていきたいと思います。